S-Labo

>> お好きなキーワードを選択してください。そのキーワードの記事がまとめて読めます。

くせのうたラップストレスShojin-ProjectコラムChildish GambinoリラックスHIP HOPThis Is Nigeriaお金ロボットWe are the worldインタビューゲイバーマイケル・ジャクソンCreepy Nuts一水四見We are the world:25 for HaitiイベントフリースタイルダンジョンThis is Americaエンディング産業展セクシャルマイノリティLGBTゲイR-指定研究お坊さんマインドフルネスman in the mirrorMichael JacksonSOGIThis is Japanダイエットガキ使お坊さん,不思議な話,呪文,護呪経,アングリマーラ,パリッタBlack or WhiteHOME MADE 家族人種差別いじめアロマエッセイ
S-Labo
tags

>> お好きなキーワードを選択してください。そのキーワードの記事がまとめて読めます。

くせのうたラップストレスShojin-ProjectコラムChildish GambinoリラックスHIP HOPThis Is Nigeriaお金ロボットWe are the worldインタビューゲイバーマイケル・ジャクソンCreepy Nuts一水四見We are the world:25 for HaitiイベントフリースタイルダンジョンThis is Americaエンディング産業展セクシャルマイノリティLGBTゲイR-指定研究お坊さんマインドフルネスman in the mirrorMichael JacksonSOGIThis is Japanダイエットガキ使お坊さん,不思議な話,呪文,護呪経,アングリマーラ,パリッタBlack or WhiteHOME MADE 家族人種差別いじめアロマエッセイ

体験修行に恐怖は必要か?|S-Labo

体験修行に恐怖は必要か?

本多 清寛
恐怖修行体験永平寺

体験修行。曹洞宗でも体験修行のできるお寺はたくさんあります。筆者が永平寺で修行していた時も、高校生や企業の研修で来る参拝者の方々がたくさんいました。普段とは違う静かなお寺の中で自分を見つめ直し、また普段の生活に戻って行く経験はとても良いものだと思います。しかし、それを強制されたり、恐怖を与えられたりするような修行だとしたらどうでしょうか?それは本当にお寺で行われるべき修行なのでしょうか。

%e6%9c%ac%e5%a4%9a%e6%b8%85%e5%af%9b%e3%80%8c%e4%bd%93%e9%a8%93%e4%bf%ae%e8%a1%8c%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%aa%e3%81%ab%ef%bc%9f%e3%80%8d20161114

とても厳しかった山奥の修行

 22歳の時、筆者は福井の永平寺に修行に行きました。雪がしんしんと降り積もり、とても寒かったことを覚えています。そして、永平寺に入る前の支度をする場所で、基本的なことを教えて頂き、お寺の玄関である山門に立ちました。しかし、待てども待てども出迎える人が出てきません。

 山門の柱には二つの言葉が掲げられています。一つは「永平寺の家風は厳しく、どんなに地位のある人間であっても修行の志が無ければ入ることを許さない」という言葉。もう一つは「永平寺の門は扉もなく常に開け放たれている。志があるものはいつでも一歩進んで来るがよい」という言葉です。

 修行に来た僧侶は、中の僧侶が出迎えてくれるまで、この言葉と対峙し続けることになり、自分の志を試されるのです。永平寺では「修業」ではなく「修行」をします。僧侶のスキルを学ぶのではなく、僧侶としての振る舞いを身につけていくのが修行です。修業であれば練習が可能ですが、振る舞いに練習はなく常に本番です。だからこそ、振る舞っている人間の志が重要になります。

厳しいだけだと逆効果

 僧侶になりたいと思っていなければ、山門の言葉は的外れなものになってしまいます。学校のカリキュラムで体験修行に来る高校生達は、僧侶になりたいわけではありません。企業研修としての体験に参加する方々も、僧侶になりたくてお寺に来るわけではありません。山門に掲げられる言葉は、あくまで僧侶になりたい者への言葉であり、すぐに普段の生活に戻る方達への言葉ではないのです。

 もし、体験修行をさせたい高校の先生や社員へ体験を命じる上役の方々の思惑に「ストイックな厳しい修行を通して、勉強や仕事を頑張って欲しい」ということがあったとしても、お寺の修行は僧侶のために用意されているもので、人によって逆効果になることもあります。あるいは、「厳しいことをさせたいけれども、自分が言ったら角が立つから誰かに代わって欲しい」というような欲求もあるかもしれません。そうだとしたら、修行が必要なのはその欲求を持つ主催者の方々でしょう。

 体験修行を取り仕切る僧侶側にも注意点はあります。実際に体験をする目の前の人達に役立つ体験を用意することです。いくら厳しい体験をさせて欲しいと言われたとしても、目の前の人達に合わない厳しさを体験させるのであれば、それは僧侶の怠慢であり、自分自身の修行にもならないでしょう。

厳しさは強制されるものではない

 筆者が永平寺で高校生達と接した時、ずっと騒がしくする生徒達がいました。その時、先生から「怒ってもらって結構です」と言われたので、少し厳しい口調で注意をしました。今考えれば、体験に対して興味を持てなかったから騒がしくしていたわけで、注意をするよりも仏教の興味深いところを話せれば良かったのです。要するに筆者の修行不足によって生徒達は騒がしかったと言えます。

 お寺での「厳しさ」は僧侶として生きることの厳しさです。それは修行僧自身が、それぞれに感じるもので、他人に押しつけられるようなものではありません。まして、体験修行なのにも関わらず恐怖や暴力を強制されるようなことがあったとしたら、それは仏教の「修行」とは呼べないものです。どうか、そのような体験修行を行うようなお寺があったとしたら、すぐにその場所から離れて頂きたいのです。せっかく仏教に触れたのに、その体験がトラウマになってしまうことほど悲しいことはありません。

体験修行に恐怖は必要か?|ページトップ