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日本とタイの宗教的な繋がり~日タイ友好130周年を記念して~ 第2回 仏舎利について|S-Labo

日本とタイの宗教的な繋がり~日タイ友好130周年を記念して~ 第2回 仏舎利について

中野 孝海
歴史日タイ友好130周年

 日本とタイとの間に修好宣言が結ばれてから今年で130周年。この間両国は食や文化だけでなく、経済的にも政治的にも友好な関係を築いてきました。その一方で、両国間との間に宗教的な結びつきが存在し、その証明ともいえる存在が今もなお国内で大切にお祀りされていることはあまり知られていません。

 連載2回目となる今回は、1898年に発見され、その後日本とタイとの宗教的な繋がりの証となる重要な存在「仏舎利(お釈迦様のご遺骨)」についてお送りいたします。

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プーカオトーン(黄金の丘)と呼ばれる仏塔。この中に仏舎利が納められている。

仏舎利とは

 舎利とは元々は〝身体〟を意味する言葉でしたが、後に仏や徳の高い僧侶の遺骸を示す言葉となり、そこから亡くなられた方の遺骨を指し示す言葉となりました。特に仏教の教えを最初に説き始めたお釈迦様のご遺骨は〝仏舎利〟と呼ばれ、長い間礼拝や供養など信仰の対象となってきました。

 お釈迦様の死後、その御遺骨は奪い合いによる争いを避けるために8つに分配され、インド各地に埋葬されました。その内の7つは後に掘り起こされ、長い年月をかけて世界各地へお釈迦様を奉ろうとする仏舎利塔が広がっていきました。

史実としての仏舎利

 各地に広まった仏舎利は、その多くが仏舎利塔などの特別な建造物の内部に納められ、大切にお祀りされています。

 しかし、お釈迦様のご遺骨には限りがあり、それらの建造物の中身は必ずしもご遺骨であったとは限りませんでした。中には法隆寺の五重塔のように、教えが書かれた経典をご遺骨の代わりとして納められた仏塔も存在する一方で、伝承によって〝お釈迦様の遺骨である〟と伝えられているものの、そのルーツや信憑性に疑問の残るものも少なくはありません。

 そんな中、1898(明治31)年、インド北部にあるピプラーワー村で行われていた遺跡の発掘調査において、幾つかの副葬品と共に石の壺が発見されました。中には人骨と思われる物体が納められており、その壺の表面には、紀元前4世紀頃に使用されていた文字で次のように記されていました。

 「薄伽梵佛陀の遺骨を蔵せるこの聖龕は、釈迦族、即大聖の兄弟、姉妹、その児子、妻室等の所有に属す(お釈迦様のご遺骨を納めたこの棺は、釈迦族、即ち釈迦牟尼仏の兄弟、姉妹、その子供及び妻室などにもたらされたものである)」

 この言葉が決め手となり、当時の研究者たちはこの壺の中に納められた遺骨はお釈迦様の死後8つに分配された仏舎利の1つである、つまりは、正真正銘の仏舎利であると発表したのです。

タイ王朝への寄贈

 発見された仏舎利と副葬品はイギリス政府に一度寄贈され、その後副葬品に関してはインドとイギリスの両博物館、そして発見者の一人であるイギリスの駐在員ウィリアム・ペッペ氏に3分の1ずつ分与されました。

 仏舎利に関しては一度インドへと返還されますが、その後当時唯一の独立仏教国であったタイ国へと寄贈されることが決定しました。当時の国王であったラーマ5世はこれを大いに喜び、使者をインド政府へと派遣しました。

 1899(明治32)年の2月15日、現地においてその授与式が行われ、その後バンコク市内にあるワット・サケート寺院の境内あるプーカオトーンと呼ばれる塔に奉安され、そのことを祝福する大きな法要が、60日間にも渡り挙行されたと伝えられています。

仏教を信じる人々へ

 タイ王朝に奉安された仏舎利は、その後ミャンマーやスリランカ、ロシアへと分骨されました。ミャンマーやスリランカへは同じ仏教を信じる人々のために、ロシアへは両国間の友好の証として寄贈されたのです。

 この出来事に当時タイに在住していた日本人は強い衝撃を受けました。

「是非同じ仏教国である日本にも仏舎利を。」

 この衝撃はやがて、日本とタイを結び付けることとなる仏舎利の奉迎事業へと発展していったのです。

〇関連記事

第1回 日タイ友好130周年

第3回 仏舎利を日本へ

第4回 日本への帰還

第5回 覚王殿の建設

第6回 再びタイ国へ 

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