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日本とタイの宗教的な繋がり~日タイ友好130周年を記念して~ 第4回 日本への帰還|S-Labo

日本とタイの宗教的な繋がり~日タイ友好130周年を記念して~ 第4回 日本への帰還

中野 孝海
日タイ友好130周年歴史

 日本とタイとの間に修好宣言が結ばれてから今年で130周年。この間両国は食や文化だけでなく、経済的にも政治的にも友好な関係を築いてきました。その一方で、両国間との間に宗教的な結びつきが存在し、その証明ともいえる存在が今もなお国内で大切にお祀りされていることはあまり知られていません。

 連載4回目となる今回は、無事日本へと齎された仏舎利に対する人々の反応と、そこから発生したある問題に焦点を当てます。

 
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愛知県名古屋市にある覚王山日泰寺。この敷地内に仏舎利が奉安されている。

日本への帰還

 タイ王国を出発した奉迎団一行が再び日本の地を踏んだのは7月11日。仏舎利をお祀りする奉安塔が完成するまでの仮安置所として準備されていた京都妙法院に向かうまでの間、各地で仏舎利の到着を祝う法要などが行われました。

 一行が最初に訪れた長崎の皓臺寺では、帰国の翌日である12日から14日までの間、仏舎利の到着を祝う法要が3日間に亘って開催され、九州各地から数千人もの人々が現地に訪れたと記録されています。

 その後神戸を経由して、一行は大阪へと向かいました。17日に大阪へと到着した仏舎利は、梅田停車場において準備されていた御輿に移され、安置所である四天王寺へと向かいました。そこでも各宗派の僧侶によって行列が組まれ、沿道には仏舎利を一目見ようとする参拝者が大勢集まりました。行列は1㎞を優に超え、およそ6㎞の道のりを3時間かけて練り歩く騒ぎとなったのです。

京都妙法院へ

 7月19日午前5時、仏舎利を祀る施設が完成するまでの仮安置場所である京都の妙法院へと出発しました。途中、真宗大谷派のご本山である東本願寺を経由した後に妙法院へと向かい、現地に到着したのは同日午後4時35分のことでした。

 仏舎利は妙法院の本堂正面に無事奉安され、翌日の7月20日から3日間にわたって、各宗派の僧侶によって奉安法要が次々と行われたと当時の記録では残されています。

次なる目標

 こうして仏舎利は無事日本へともたらされた訳ですが、日本仏教界にはまだ一つ大きな仕事が残されていました。それは、仏舎利を奉納し、後世へと伝えるための施設を建設することです。 

 仏舎利の奉迎事業の一環として計画された覚王殿の建立事業。覚王殿の他にも様々な関連施設の建設が計画されました。当初の計画では総建坪5800坪、敷地面積は10万坪(東京ドーム約7個分)という広大な敷地を要する大規模な計画となりました。やはり、仏舎利を祀る施設は、日本仏教徒の象徴であり、ラーマ5世の悲願でもあったからです。

 しかし、建設の壁となって立ちはだかったのは、資材でもなければその資金でもありませんでした。「日本のどこに施設を建設するのか?」その選定だったのです。

〇関連記事

第1回 日タイ友好130周年

第2回 仏舎利について 

第3回 仏舎利を日本へ

第5回 覚王殿の建設

第6回 再びタイ国へ 

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