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日本とタイの宗教的な繋がり~日タイ友好130周年を記念して~ 第5回 覚王殿の建設|S-Labo

日本とタイの宗教的な繋がり~日タイ友好130周年を記念して~ 第5回 覚王殿の建設

中野 孝海
日タイ友好130周年歴史

 日本とタイとの間に修好宣言が結ばれてから今年で130周年。この間両国は食や文化だけでなく、経済的にも政治的にも友好な関係を築いてきました。その一方で、両国間との間に宗教的な結びつきが存在し、その証明ともいえる存在が今もなお国内で大切にお祀りされていることはあまり知られていません。

 連載5回目となる今回は、日本における仏舎利の奉安場所である〝覚王殿〟の建設に焦点を当てます。

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仏舎利が境内にお祀りされている日泰寺。その本堂にはタイ国より寄贈された金銅釈迦如来像がお祀りされている。

決まらない建設予定地

 日本にいる全ての仏教徒に寄贈された仏舎利。日本とタイとの宗教的な繋がりを証明する非常に貴重な存在でもあるこの仏舎利を、一体日本のどこに奉納し、後世へと大切に伝えていくべきなのか? その議論は白熱し、建設予定地の選定は難航を極めました。

 仏舎利を奉納するための施設〝覚王殿〟の建設は、仏舎利の奉迎事業が始まった初期の頃から幾度となく会議の場が設けられてきました。何度も会議の場が設けられましたが、意見が対立し、仏舎利が日本に到着しても尚決まる気配はありませんでした。

国を揺るがす不安と焦り

 この現状に対して宗教界のみならず外交の面からも不安と焦りの声が上がります。その中で特にこの状態に一番の危機感を覚えたのは、仏舎利の奉迎を最初に提案した稲垣満次郎でした。タイ王国での奉迎事業が終了した後も、日本とタイ王国とを結ぶ橋渡し的な役割を担ってきた稲垣は、日本の仏教界に対し早急に候補地を定めるように何度も要請しました。

 この背景には、日本へと仏舎利を寄贈して下さったラーマ5世の存在があります。誰よりも奉安塔の完成を心待ちにしているラーマ5世の期待を裏切れば、日本とタイの友好関係の悪化にも繋がりかねませんでした。だからこそ、早急な覚王殿の建立が求められたのです。

新たな候補地

 事態が動いたのは1902(明治35)年3月のことでした。愛知県の有志によって結成された〝覚王殿建立地選定期成同盟〟という団体が名乗りを上げ、名古屋における覚王殿の建設を推奨しました。その理由として、彼らが関係者宅に提出した嘆願書には次のように記されています。

①東西日本の中心部に位置していること。
②実業の枢要地であること。
③仏教有縁の地でもあること 。

 などの理由が明記され、この地に仏舎利の奉納をすることが出来れば、日本仏教界だけでなく、タイ国国王の悲願も叶えることができるのではないかという嘆願書でした。

 これを受け、再び建設予定地を決めるための会議が動き始めます。現地の調査なども同時に進められ、11月12日の会議に於いて、ようやく名古屋に覚王殿が建設されることが決定しました。その知らせはすぐさま日本全国に行き渡り、電報によってラーマ5世にまで届けられました。妙法院に仮安置されていた仏舎利は名古屋萬松寺に移され、ようやく覚王殿の建設が始まったのです。

覚王殿の完成

 1903(明治36)年の4月、覚王殿建設のための一連の事業がスタートしました。まず初めに建設予定地の選定が行われ、愛知県愛知郡田代村に建立されることが決まりました。

 その後すぐに建設が進められ、1904(明治37)年の11月、ついに日本における仏舎利の奉納場所である〝覚王山日暹寺〟が完成し、仏舎利はすぐさま仮の奉安場所であった萬松寺からその本殿へと移されたのです。仏舎利が日本に寄贈されたのが1901年。実に3年もの月日が経過していました。

奉安塔完成

 その後、仏舎利を納めるための奉安塔の建設が始まり1918(大正7)年6月にその完成を祝う法要が盛大に行われました。この法要には各地から10万人もの人々が訪れ、その完成を祝福したと記録されています。

 本殿に安置されていた仏舎利は奉安塔の中へと納められ、今日までのおよそ100年間にわたり、日本とタイの友好の証として、日本仏教の象徴として大切に守られ続けています。

〇関連記事

第1回 日タイ友好130周年

第2回 仏舎利について 

第3回 仏舎利を日本へ

第4回 日本への帰還

第6回 再びタイ国へ 

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