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「不謹慎」を考える〜テレビ番組への批判に思うこと〜|S-Labo

「不謹慎」を考える〜テレビ番組への批判に思うこと〜

西田 稔光
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政治家や芸能人、教育者から一般人まで、その人には悪気はなくてもちょっとした発言や行動が大問題に発展することが多々ある。最近はそれを巡っての意見の対立が新たな争いを生んでいる。今回はあの有名なテレビ番組から国際問題にまで発展した出来事を中心に、「不謹慎」を考えてみる。

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「みなさんのおかげでした」と「ガキ使」

 昨年、二つのテレビ番組の企画が不謹慎だとして糾弾される出来事があった。一つは「とんねるずのみなさんのおかげでした」。そしてもう一つは「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」。二つの超有名バラエティ番組から生まれた火種が、大きく広がってしまったのだ。

 まず「みなさんのおかげでした」では、番組の最終回に向けて過去のキャラクターを再登場させるということで、石橋貴明氏扮する「保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)」が登場した。これが男性同性愛者を侮辱しているとして問題となり、フジテレビが公式ホームページで謝罪するに至った。

 次に「ガキの使いやあらへんで!」は、大晦日の定番ともなりつつある「笑ってはいけない」という企画の一コマ。今回は出演者がアメリカンポリスに扮して行われたのだが、この番組ではいつも浜田雅功氏の衣装だけが周りと違う、というお約束がある。今回はアメリカンポリスということで、メンバーにはアメリカの警官風の衣装が用意されている中、浜田氏だけがスタジャンにニグロパーマ、そして黒塗りという、映画「ビバリーヒルズコップ」のエディ・マーフィーを模した格好だったのだ。これがネット配信などを中心に海外で反感を買い、人種差別問題として発展していった。

「これくらいのことで」という物差し

 どちらの問題も、意見は真っ二つに分かれたように見えた。一つは、それを糾弾する意見。もう一つは、「これぐらいのことで騒ぐな」という意見である。これはこの二つの問題に限らず、必ずといっていいほど起こる意見の対立だと思う。最近では糾弾する意見を糾弾することで二次三次の言い争いまで生まれている。

 確かに昔は問題にならなかったことが、今では問題になるということがある。昔観た山寺宏一さんのルイ・アームストロングのモノマネだって顔は黒塗りにしていたし、保毛尾田保毛男というキャラクターだって当時は人気のキャラクターだったはずだ。

 しかし、本当に誰一人傷つくことがなかったのだろうか?今回の問題を調べてみると、実はこれまでもそれで傷ついてきた、という声が多く見受けられた。つまり、今に始まった問題ではないのだ。

 当然、何の違和感もなくおもしろいと思って観ていられる方も多くいるだろうし、その方にとっては「せっかくおもしろいのに」と思うだろう。その中で「これくらいのことで騒ぐな」という意見が生まれてしまう。しかしどうだろうか。今回はたまたま自分にとって辛くなかっただけで、もしかしたら明日目にした番組が自分にとっては怒りや悲しみを生むものであるかもしれない。それを自分以外が笑って観ていたとしたら…。

 

一水四見

 仏教に「一水四見」という言葉がある。人にとって水は飲みものであるが魚にとっては棲み処であるように、水一つをとっても立場によって見え方は全く異なるのだ。

 同じように、一つの番組、一つの企画も、人によってはおもしろいと感じることもあればつまらないと感じることもあるし、悲しくなることもあれば、怒りを覚えることもある。それはそれぞれ立場、経験、価値観から来る見え方違いで、それはその人の個性にほかならないし、感じ方に優劣はない。ただし、そこに見下しや嘲りが含まれた時、どこかで必ず傷つく人がいることを、私たちは自覚すべきではないだろうか。悲しみ、怒る人を咎めるより、なぜそこに悲しみや怒りが生まれたのかを知ろうとする歩み寄りが必要なのだと思う。

 

 

cold-water-feat

全部違うと知ることだ

 情報が溢れているこの社会は、その情報を他人がどのように見ているかまでは教えてくれない。人は人との関わりの中で生きている以上、お互いの違いが目に入るのは当然のことだろう。しかし色んな経験や地位や名誉が「自分こそが正しい」と思わせてしまうのではないか。不謹慎とは人の痛みや傷跡に対して鈍感であることだ。昔ウケたからといってそのまま現代に持ち出すのも、相手側の背景を考えずに、その非を頭ごなしに批判するのもいかがなものだろうか。今回取り上げた問題も、あらゆる差別も問題も、お互いに自分の価値観だけを振り回しても解決にはつながらない。

 他人を理解する上で私が肝に命じている歌詞がある。

“同じような顔してる 同じような背や声がある 

知りたいと思うには 全部違うと 知ることだ”   

(星野源「くせのうた」より引用) 

 一度も過ちを犯さない人などいない。しかしそれに対して必要以上に争いが起らない世界を実現するには、お互いが何を抱え、何に傷つくのかを考えることが不可欠だ。これからこうした問題が起きた時、「そんなことで騒ぐなよ」と思ったとしても、自分の気付かないところでも傷つく人がいるということを感じる機会にしてはどうだろうか。 もしかしたら、批判を批判して言い争うようなことがなくなるのではないかと、私は思う。

 人は大切なものも傷跡も、それぞれ異なったものを抱えている。同じものを見ていても、見え方は同じではない。しかしそれこそが私たちの個性だ。人の目にはどう映るのか、それを推し量る心を養うことができたなら、私たちは少し慎ましくなれるのかもしれない。 そしてその慎ましさの先にこそ、お互いの個性を認め合える未来が待っているのではないだろうか。

  

 

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