自らの最後を迎えるにあたり、「終活」というが話題になっています。
「どのようなお葬式にしたいのか?」
「どのように供養してほしいのか?」
そういった自分自身の〝死後の在り方〟について、予め自身の考えをまとめたり、前もって準備をしておくのが終活です。
その中でも最近ニュースや新聞などで話題になったものがあります。
それは「生前葬」。
自分が生きている間に行う〝自分のためのお葬式〟です。

自分自身のお葬式を自分自身でやる。それは一体どんな気持ちなのだろうか?
『象の背中』
皆さんは『象の背中』という小説をご存知でしょうか?
秋元康原作のこの作品は、2005年の1月から6月にかけて産経新聞上で連載された彼にとって初の長編作品であり、2007年には役所広司主演で映画化がなされました。
医者から余命半年の宣告を受けた主人公藤山幸弘は、残された人生を延命治療ではなく、〝人生を全うすること〟に全てを捧げました。
その中の一つが、今までに出会った大切な人たちと直接会い、自分なりの別れを告げることでした。喧嘩別れした高校時代の親友、初恋の相手、絶縁した実の兄、そして自分自身の家族。
その一人一人と向き合い、言葉を交わし、生きている間に最後の別れを行う。そうやって少しずつ「死」へと進んでいく主人公の姿は、寂しさではなく幸福に満ち溢れているように感じました。
「葬」という文字
このように、生きている間に別れをすませることを、現代社会では「生前葬」と表現する場合があります。
しかし、この「生前葬」という言葉自体に矛盾を感じる方もいるかもしれません。何故ならば、お葬式とは本来〝死んだ後に行われる儀式〟であり、生前葬とは生きている間に自分自身のお葬式をするからです。
「葬」という「死」や「弔い」を表す言葉が用いられているように、お葬式とは本来〝その人が亡くなった後〟に行われる宗教儀礼です。
残された家族や友人が〝亡くなられた故人のため〟に葬儀会社の担当者と打ち合わせを行い、家族や友人、地域の方や職場の関係者などを招いて行われます。その全体の内容や流れ、雰囲気などは、亡くなられた故人が生前信仰していた宗教や住んでいる地域になどよっては多少の違いがあるかもしれません。
しかし、遺族や親族などが一箇所に集い、故人の冥福を祈るというスタイルは、長きに渡って日本各地で行われてきた伝統的な姿ともいえるでしょう。
感謝の会
実はつい最近になって、実際にこの生前葬を行った人物が亡くなったとニュースや新聞などで報じられました。
1995年~2001年にかけて株式会社 小松製作所の社長を務めた安崎 暁氏は、2017年の12月に、自分自身の生前葬にあたる「感謝の会」を開催しました。この会には会社の関係者や知人、友人関係など約1,000人もの人が集まり、安崎氏と直接言葉を交わし、ステージ上で披露される安崎氏の地元徳島の阿波踊りを一緒に鑑賞したといいます。
安崎氏は同年11月に新聞広告上で自身が末期の胆のうガンに侵されていることを公にしました。しかし、自身の延命治療は望まず、残された時間を「クオリティー・オブ・ライフ(生活の質の向上)」のために有効に使いたいと願い、その一つの形がこの「感謝の会」だったと報道されています。
全国で様々な葬儀サービスを展開する定額葬儀ブランド「小さなお葬式」によると、生前葬の内容には特に決まりはなく、主催者のスピーチだけでなく、思い出の曲の生演奏や、ビンゴ大会やカラオケ大会などの催しなど、その内容も規模も主催者が自由に内容を決めることができるといいます。「生前葬」という名前で呼ばれておりますが、実際には自らの思いを伝えるための感謝の場として捉えた方が適切かもしれません。
生前葬を行う利点
生前葬を行う最大の利点。それは「一人一人の手を握り、感謝の言葉や自身の思いを自分の口から伝えることができる」という点です。
確かにこれは生きているからこそできる事であり、死んでしまったら絶対にできなくなってしまう行いでもあります。
「あの時言っておけばよかった」
「やっておけばよかった」
そう後悔し、大きな心残りになってしまっては、まさに死んでも死にきれないかもしれません。
何時終わりが来るかわからない人生だからこそ、前もってその準備を行う。そういった活動は「終活」と呼ばれ、近年葬祭業界のみならず、個人の間でも注目されています。
「どのようなお葬式にしたいのか?」
「どのように供養してほしいのか?」
自分の死んだ後の出来事に思いを巡らし、考えを深めていく。それは自分の残りの人生と向き合っていく上で、大切な機会となることでしょう。しかし、そこで決められることの多くは、自分の〝死後に行われること〟です。
生きている間にしかできない本当に大切なことを、生きている間に行う。それも、残された人生を充実させる上で欠かすことのできない一要素といえるでしょう。
宗教者の役割
現代社会における宗教者の役割の一つにはお葬式、つまり〝故人の弔い〟があります。そしてお葬式に関連する一連の宗教儀礼には、「死」という非日常的な出来事を受けとめ、受け入れていくことができるような〝器〟を形成するという非常に大切な役割があります。そういった意味で死後行われるお葬式には、故人だけでなく遺族のために行われる部分も数多くあるといえるでしょう。
では生きている間に行われる生前葬とは一体何なのかでしょうか?
私個人としては、生前葬当日よりも、その日を迎えるまでの準備期間こそが最も大切な時間なのである。そのように考えております。
これから亡くなられる方が、如何に幸せに最後の時を迎え、心安らかにこの世を去ることができるのか。
そのために自分は一体何をすればいいのか?
その人自らがその方法を真剣に模索し、検討する大切な期間であるからです。であるならば、それを支え、時に相談に乗ることもまた宗教者の役割なのではないか。私自身はそのように感じております。
生前葬を行うにあたり肯定的な意見もあれば否定的な意見もあるかと思います。
しかし、あなたの目の前に「生前葬を行いたい」という人物が現れたとき、真っ向からその意見を否定するというようなことはしないでいただきたい。何故ならば、それこそがその人が考えた最も素晴らしい最後の迎え方なのですから。