第4次安倍内閣が発足してからおよそ2か月。
新たに内閣入りした新閣僚たちは日々様々な質疑を受け、その力量を試されています。その答弁の様子を眺めていると、筆者はふと禅問答のことを思い出しました。
相手の力量を試すために繰り広げられる禅問答。
禅問答と国会答弁との共通点を考えてみます。

首座法戦式にて問答を行う際に用いる〝竹箆〟。師匠から弟子へと手渡されるこの仏具は、法の戦いを象徴する存在でもある。
第197回臨時国会
10月の24日から始まった第179回臨時国会。今期の国会では外国人労働者の受け入れを拡大する入国管理法の改正案の審議を始め、重要な議案が与野党の間で審議され、12月10日に閉会しました。
国の行末を左右する国会の審議ですが、今回の臨時国会は10月2日に発足したばかりの第4次安倍内閣の力量が試された重要な場でもありました。今回新たに登用された新閣僚たちの手腕と覚悟が質疑応答の中で試され、その様子は逐一記録され、様々なメディアを通じてリアルタイムで日本全国へと配信されます。
当然差別的な発言や不謹慎な対応を行えば、その場にいる議員からだけでなく、国民全体からも非難される恐れがあります。そのため、発言の一つ一つ、行動の一つ一つに重い責任が伴うことを強く自覚していなければ辞職の憂き目に晒されてしまいます。
必要なのは答弁力
国会で行われる答弁には様々な力が求められます。
正確で専門的な知識。
相手の発言に惑わされることのない冷静さ。
どのような質問や発言にも対応させることのできる柔軟性や即興性。
自分の意志や意見を曲げることのない強固且つ確固たる意志。
いくら事前に質疑の内容が提示されているとはいえ、全てが用意した原稿通りに進むとは限りません。どんなに確かな答えを用意していても、その場にいる議員だけでなく国民全体を納得させなければ、答弁は成立しないからです。
如何に相手を納得させ、国民の同意を得るか。
それぞれがそれぞれに考えを巡らし、激しい問答を繰り広げるのです。
その様子は、時に内容も相まってさながら禅問答を繰り広げているようにさえ見えてくるのです。
修行僧の答弁力
禅問答とは、師匠と弟子の掛け合いです。弟子が師匠に問いかける時は、仏教をより理解するための質問に近いものです。師匠が弟子に問いかける時は、弟子の修行が上手く行っているのかを試す試験に近いものになります。どちらにせよ、問いかけを繰り返しながら、師匠と弟子は互いの力量を確かめ合うのです。
それがいつしか、修行僧同士の掛け合いとなり、相手の力量を試す手法として盛んに行われるようになりました。そのやり取りは様々な場所で行われたようで、江戸時代には『こんにゃく問答』という落語のネタにもなっています。また、理解し辛い会話を「禅問答のようだ」といいますが、どんなに頭を捻っても理解に苦しむような超難解なものも多々あります。
古くから修行僧の間で行われてきた禅問答でしたが、平成が終わりを迎えようとしている現代社会においても、各地の修行道場で広く行われています。
その代表的な例が〝首座法戦式〟です。
首座法戦式
曹洞宗の修行道場では、年に2回「制中」と呼ばれる修行に専念する期間が設けられています。およそ100日間に及ぶ修行期間中、その筆頭を務める〝首座〟と呼ばれる修行僧を中心に修行の日々を送ります。
首座に任じられた修行僧は、他の修行僧たちに己の力量を示し、周囲にその力を認めさせなければなりません。それを確かめるために行われるのが首座法戦式と呼ばれる特別な法要です。「法戦」とは文字通り「法の戦い」であり、ここで修行僧たちは、首座に対して様々な禅問答を投げかけ、その力量を確かめるのです。
次々と投げかけられる問答に対して、首座は間髪入れずに答えていきます。知識量だけでなく、深い理解力も必要なのです。そうでなければ迅速な判断ができません。
どのような問答に対しても、即座に喝破していくその姿を目の当たりにしていくことで、修行僧たちは彼を信頼し、首座を中心とした修行生活に邁進することができるようになるのです。
普通のお寺でも法戦式は行われますが、そこで首座を務めるのは比較的若い僧侶が多いため、試すというよりも、自覚を促すような意味合いになることもあります。
閣僚と首座と答弁力
内閣総理大臣に任命される閣僚、修行道場の主である堂頭に任命される首座。どちらも、任された役を務める点で同じです。また、周囲から認められるための方法も同じです。一度任命されたからといって、それが永遠に続くわけではありません。任命された役を真摯に務めていく中で、発した言葉、問題が起きたときの態度、その一挙手一投足を試されながら、周囲から認められるようになっていきます。
元来、人を試すようなことをするのは大変失礼なことであり、褒められるやり方ではありません。職場でも、人を試すような行為は嫌がられるでしょうし、その行為によって追い詰められてしまう方さえいます。人を試すということは、人を殺してしまうことさえもあるのです。
しかし、任命された役に相応しいかどうかは否が応でも試されることになってしまうでしょう。何故ならば、役に相応しくない人物には退いて貰わなければ悲劇が生まれるからです。それは各省庁の大臣も首座も同じでしょう。人格攻撃のような問いかけは必要ありませんが、その役を全うできているかどうかの問いかけは必要なことではないでしょうか。
首座は禅問答で答える役割を担います。どんな質問が来ても答えられるように、集中して修行します。首相は議員や記者団の質問や、国民からの要請に答えられるように、集中して業務に当たります。その集中の深さが答弁力を培う原動力でしょう。
禅宗の「禅」は「禅那」ともいい、その意味は「心を一処に住して散乱せしめないこと」(禅学大辞典参照)です。簡単に言えば、集中するということになります。
任命された役に相応しいかどうかは、その役割にどのくらい集中しているかどうかではないでしょうか。自分の役割に集中しているかどうか。一挙手一投足が試されています。